コラム

『福祉部長のひとり言』(1)

~日本の3つの文字、カタカナ表記から「復興」について考えられること?~

 

東日本大震災から10年がたった。3月11日が近づくと、ニュースから「被災地」「復興」「帰還困難者」「震災関連死」などの言葉が溢れる。

 

 「復旧」は不可能だ。被災地が地震・津波が「無かったこと」にはならない。ましてや福島第一原発の事故は住んでいた家どころか、住んでいた地域にも帰還できないという状況を生み出した。この時期のニュースで「復旧ではなく復興」と聞くと、そりゃそうだと思う。

 

精神医療関係者は復興という言葉から、「リカバリー」を想起してしまう人もいるのではないだろうか。リカバリーにゴールがないように復興にもゴールはなく、どちらもプロセスが大事だ。そして復興もリカバリーも当事者のものだ。支援者は寄り添うこと、エンパワメントの役割が重要だ。

 

今年の追悼式で菅首相は「震災から10年がたち、被災地の復興は着実に進展しております。地震・津波被災地域においては、住まいの再建・復興まちづくりがおおむね完了するなど、復興の総仕上げの段階に入っています」と語っていた。被災当事者のうち「復興の総仕上げの段階」と感じている人はどれほどいるのだろうか。

当事者以外の人が勝手にゴールを設定しているのであれば、それは寄り添っている態度でも、エンパワメントでもない。

 

 東日本大震災からしばらくたち、福島は新聞などで「フクシマ」と書かれだした。そして8月6日になると広島が「ヒロシマ」となる。

 

日本は3つの文字を持っている特殊な国だ。漢字・ひらがな・カタカナと3つの表記文字がある。アルファベット使用圏のみならず、珍しい国である。カタカナは外来語の表現として使われてきた。

Ayouthはアユース、Oasisはオアシスと表記する。光愛病院をコウアイビョウインと書くと、まるで振り仮名だ。

 

福島住民や広島住民が自らを“わざわざ”カタカナで発信してはいないだろう。この場合、カタカナ表記は「他者からの」言葉であり、他者の表現なのだ。調査によると福島の方々は、この”フクシマ“という表記について、大多数の人が抵抗感を感じているとのことだ。

 

カタカナ表記は、マジョリティ側がマイノリティに対して使用するとき、何らか差別的なイメージが想起される。“わざわざ”カタカナを使う際の「まなざし」は誰のものか、他者と当事者、マイノリティとマジョリティ…など、考えさせられることは多い。

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