厚労省の推進する「精神障害にも対応した地域包括ケアシステム(以下、にも包括)」は地域共生社会を目指すためのシステムであると説明されている。私もこのコラムで幾度となく地域共生社会という言葉を使ってきた。
内閣府は、地域共生社会について“制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が『我が事』として参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えて『丸ごと』つながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会”としているけれど、私はまったく具体的なイメージがわかない。今の制度は「縦割り」を超えたら違反になるし、「支え手」「受け手」を超えても違反になる。施策も予算も制度も別々だ。
だから地域共生社会を目指すのであれば、「制度」を変えていくしかない。社会制度なんて言葉があるくらいなのだから。しかし制度は変わってきたのかというと、そうではないし、容易ではない。医療や福祉、また教育などの制度は、介護保険制度にせよ、医療制度にせよ、ほぼ国の制度であり、自治体レベルで実効的に運用する制度は非常に少ない。
社会を英語に訳すとソサエティ(Society)だが、地域社会はコミュニティ(Community)だ。つまり地域共生社会とはコミュニティ、つまり共同体とか、住んでいる町が想定されている。しかし、国の制度や施策の変更がないままで、上の内閣府の示す地域共生社会など市町村やコミュニティはイメージすらできないし、推進しようがないと思う。
上の内閣府の地域共生社会の一文について、社会という言葉を文化に置き換えてみた。 “制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が『我が事』として参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えて『丸ごと』つながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていくような文化”。うん、それだとなんかイメージできるぞ。地域共生文化これどうじゃ!
考えてみればすでに共に生きられるような文化活動・運動・場所は、いろんなところで実践されているではないか。障害のある・なしを超えていくアート的な取り組みや、お祭りなど老若男女集えるイベント、認知症カフェや共生型子ども食堂などは地域共生文化活動とは言えないだろうか。オアシスで利用者の方々と一緒に行っている企画も地域共生文化活動だと言える。そんな活動は、市町村も行政施策の中で、いろんな場所で、時々に取り組まれていますよね。地域共生文化って言葉、結構いいのではないかな…いかが⁈
*国籍や民族が違う人たちとの「多文化共生」も市町村やコミュニティでの取り組みとして構想されているが、国の外国人への制度や施策は共生を目指すものはほとんどない。地域共生社会も多文化共生も制度や施策が変わらない限り「絵に描いた餅」どころか、餅の絵すら描けないと思う。